邪馬台国は大牟田だった。

この衝撃的な発表で、、阿蘇次郎 崩壊したかと言われそうですが。

僕は高校生の頃 島原鉄道の社長だった 宮崎康平さんが書いた まぼろしの邪馬台国に魅せられて、、邪馬台国少年でした。

それから 50年以上 かたときも邪馬台国の事が頭から離れたことがなく、、。

邪馬台国九州説が出ると、、自分なりに検証したりしたものです。

最近では 小郡や朝倉

でも 反論するわけではないけれど、、邪馬台国は七万戸の人口ですから、、大きい平野と川があって、、燃料の木材があって、、海が近く魚介類が豊富でないと、、ありえないと想っていました。

さっそく 結論を書きます。

邪馬台国は 柳川ー八女ー瀬高ー大牟田で囲まれる旧山門郡を中心にあったと確信しています。

youtubeで、、

真日本の歴史 を検索していただいて。

邪馬台国はここだったを見つけてください。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを投稿する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

:wink: :-| :-x :twisted: :) 8-O :( :roll: :-P :oops: :-o :mrgreen: :lol: :idea: :-D :evil: :cry: 8) :arrow: :-? :?: :!: