九州説vs畿内説

昨晩の夢の中で、、邪馬台国の結論の夢を見ました。

夢だから、、まだ 実証も検証も これからの話ですが、、。

軽く、、邪馬台国はここだ。

邪馬台国論争が始まって 数百年、、。

何でこんな事に気が付かなかったんだろうか。

昨夜の夢では、、

邪馬台国は北部九州であるけど、

日本には もっと力を持った、、集団が畿内にはあった。

勿論 関東にも 中部地方にも北陸信越にも

四国にも 中国地方にも、、人は一杯住んでいて、、

人口もそれぞれあったはずです。

ただ 漢の時代には奴国が 漢の国王に、貢ぎ物を持って訪れ、、魏の時代には邪馬台国の卑弥呼の使いが貢ぎ物を持って訪れ 金印を貰ったりしてはいるけど、、。

畿内にはその頃最大きい ヤマト王権、、。

後の天皇家に繋がる豪族がいたと思われるけど、、。

漢や魏に使者を送っていなかっただけであると、、

夢では、、答えが出ていました。

単に使者を送ったのか、、送らなかったのか違い。

 

この夢、、使者を送ったか、どうかの違いを、、

ユックリ検証したいとおもいます。

 

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九州説vs畿内説” への4件のコメント

  1. 別府太郎 のコメント:

     常人には理解し難き候。 恐れ多くも独逸なんぞには行けぬので中津の汽車ぽっぽに泊まって

     旧耶馬渓鉄道跡のサイクリングロードの終点、守実温泉まで往復44キロ4時間走ったら最後の
     
     30分はサドルが固くて尻が痛くて往生仕り候。 

    • asojiro のコメント:

      僕は 高校生の頃、、大牟田から通学自転車で鹿児島の佐田岬まで、、往復しました。
      サドルにはスポンジを三枚巻いていましたが、、帰ってきたら、、黒い板のようになっていましたが、、おかげで、、尻の皮は守ってもらいました。

  2. 別府太郎 のコメント:

     そりゃまた凄いですね。 小生も高3の時、友人と宇佐神宮から耶馬渓に行ってテントで泊まっ

     たら蚊に刺されまくって眠れなかったです。 次の日は玖珠まで出るのに当時まだ舗装されてな

     い所もありました。 210号線を帰って由布山登山口からは別府まで下り坂で楽でした。 15

     0キロ位走ったでしょうか? 友人が宇佐神宮で金落としてもう帰ろう言うて困りました。 

     去年、宇佐神宮、耶馬渓、大観峰に五十年ぶりに行きました。 

  3. asojiro のコメント:

    近々 宇佐神宮を探望したいと思っています。

    宇佐 日出 玖珠 邪馬は、、
    邪馬台国連合の一つで有ることは、、疑いがないところですので、、。

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