江戸時代 新井白石が、、山門郡一帯を”邪馬台国“と発表して以来、、畿内説と九州説を二分した、山門郡の散策を考えていたけど、、雨☔が降り始め 目的地の女山神籠石は途中で断念 工事中で山頂までも行けず、
工事中
帰り道小学校の塀に ”卑弥呼の里”を見つけて 、、嬉しい限り。
また次の機会に卑弥呼を探して、、散策して見たいと思った次第です。
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